THE F1RST TIMES

COLUMN

2021.09.01

Creepy Nutsが新譜『Case』で過去・現在・未来を往来しながら物語を回収する

TEXT BY 高木”JET”晋一郎
PHOTO BY @kouhey0622
RETOUCHED BY @hiroyabrian

9月1日発売、Creepy Nuts最新アルバム『Case』

コロナ禍という難しい状況において、『Creepy Nuts One Man Live「かつて天才だった俺たちへ」日本武道館公演』の成功や、数々のメディア仕事など、“飛ぶ鳥を落とす勢い”という表現が相応しいCreepy Nutsの活躍ぶりは、多くのリスナーが認めるところであろう。その彼らが満を持してフルアルバム『Case』をリリースした。

筆者が今回のアルバムを聴いて強く感じたのは、この作品が“回収のアルバム”だということだ。

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現状の回収:自身の置かれている状況を主観と俯瞰の両面から自己活写

まずひとつは“現状の回収”。

Creepy Nutsとはデビュー作「刹那」のリリース当時からインタビューなどで関わり、特にR-指定とは単行本化もしたトークイベント『Rの異常な愛情』などで頻繁に仕事をさせてもらっているが、傍から見ていても彼らのここ2年ほどの多忙さは、「Lazy Boy」で“終わらない繁忙期”(ちなみにこれはNITRO MICROPHONE UNDERGROUND「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」のDABOヴァースからの引用)と歌うように、「グレートジャーニー」での“小忙し”な状況とは比較にならないほどだ。

それは音源制作やライブだけではなく、テレビやラジオといった多方面のメディアからの需要の増加とも当然ながら重なっている。

いっぽうでアルバム収録曲「15才」の行間からも感じるように、彼らは“ヒップホップアーティストがメディアにちやほやされる”ということに対して、決して全面的に快くは思っていない(それは一般メディアに取り扱われる自分たちを戯画化した「バレる!」のMVで明確に意識されているだろう)。

つまり、“アンダーグラウンドがヒップホップの本流”というB-BOY的なマインドも持ち合わせており、ある意味では“マス対コア”的なイズムに、自己を引き裂かれているようにも思える。

今回のアルバムでは「Lazy Boy」や「バレる!」「顔役」などのアルバム前半部を通して、そういった現在の自分たちが置かれた状況を主観と俯瞰の両面から自己活写し、作品として回収している。

それはヒップホップが根本的に持つ、自己言及型のドキュメンタリー性とも通るだろうし、そこをボースティングも含め、包み隠さず書くことは印象に残る。

過去の回収:Creepy Nutsとしての決意、表現者としての宿命

もうひとつは“過去の回収”。

そういった部分は特に中盤の「デジタルタトゥー」の制作に繋がるだろう。この曲はオリンピックの開会式に絡んで発生した、小山田圭吾や小林賢太郎の問題とも直結するタイムリーな内容であり、同時に現代においては誰もが当事者となりえる、普遍的な問題とも言える。

そして、「デジタルタトゥー」には“俺はコレで斬りつけた/俺はコレで切り抜けた”という一節がある。

自らの言葉を刃物として表現することは、今作の他曲では「顔役」の“言の刃持つASSASSIN”のように、これまでにR-指定のラップリリックでは見られた表現だが、その「顔役」やアルバムの最後を飾る「土産話」、DJ 松永がスクラッチネタとして使用したR-指定の過去曲「R.I.P」の中でも、その言葉の鋭利さは誇るべきものとして表現されている。

R-指定

DJ 松永

しかし、「デジタルタトゥー」に至ると、その行動自体が正しかったのかという逡巡や、その言葉が結果として今の自分に向いてしまう状況が描かれる。

同じように「15才」でも、鏡の中の自分から、しかもよりピュアであった過去の自分からの詰問が描かれ、それは「バレる!」で、“メッキを剥いだのは 寝首をかいたのは/あの日の俺とよく似た目をしたヤツでした”という言葉とも連動する。

そういった事実に対して「デジタルタトゥー」では“手品みたく変えてく万札”と自ら結句するが、その言葉は“そういった状況も金に変えるぜ!”といったラッパー的なボースティングとも、Creepy Nutsの過去曲で言えば「だがそれでいい」で“また新たに書き足す1ページ 現在進行形の黒歴史”と表現したような諧謔的とも違った感触を覚える。

むしろ、そういった一度吐いた鋭利な言葉は、謝ることも、開き直ること、釈明もできない、一生ついてまわる“枷”(いみじくもこのアルバム名『Case』をローマ字読みすれば“かせ=枷”になる)として存在することを自覚し、そういった事実を“万札=作品”として表現し、更新し、書き続けるしか解決がないということを表現しているのだろう。それはCreepy Nutsとしての決意であると感じるし、表現者としての宿命を彼らも解釈し、作品にすることで肝に銘じているとも思える。

未来の回収:主観と客観の両面で描くことで救い出す

同時にこのアルバムは“未来も回収”する。

例えば「15才」の“また場面の数だけ仮面が増える/その仮面の数だけウソが増える”や、「バレる!」での“俺を分かってくれと叫び/世に知らしめたばかりに/自分で自分をより自分らしく演じなきゃいけない羽目に”という言葉は、それらのリリックだけを取り上げると、“本質とペルソナの乖離”であり、アイデンティティ・クライシス的な表現とも思える。

しかし、続く「Bad Orangez」で“沈む夕陽の色に良く似たお前/昇る朝日の色にも見えるお前/夕陽の色に良く似たお前/朝日の色にも見えるお前”という言葉がくることで、そういった多面性をも肯定する表現となる。

同様に「15才」での“そんな血走った目で俺を睨むないつかの15才…/その息苦しい 世界は今ここと地続き”の救いのなさは、「Who am I」での“Who am I? 赤の他人…/あの頃のお前とはきっと赤の他人…”という言葉があることで、意味合いが変わり、その“15才の自分”を主観と客観の両面で描くことで救い出す。

その意味でも、“過去⇔現在⇔未来”を行き来しながら物語を回収し、それが「土産話」となるように、その先へ展開させていく『Case』。

作品構造として、先行リリースされた楽曲と新録曲がしっかりと相互作用することで齟齬なく収まり、お互いに楽曲を通してメッセージを補完する関係性は、アルバムだからこそ意味がある構成であり、全体像としても丁寧な“回収”がなされている。

そういった全体像を端的に表しているのが「のびしろ」だろう。

「Who am I」のラストヴァースと連動する“悪者扱いして来た街で”という歌詞や、「15才」に繋がる“変わりゆく俺、鏡の中へ”以降のリリック、アルバムの随所に現れる多忙さと、その中で起きる様々な経験の中で感じることに対して“俺らまだのびしろしかないわ”と肯定的に描く。

その言葉、そして楽曲全体を通してもCreepy Nuts的な皮肉っぽさやエスプリが込められつつ、ポップな曲調と相まって、肯定的なメッセージを前面に感じる構成も興味深く、またアルバム全体を統括するような内容になっていることで、このアルバムの持つポジティブさをも象徴的に担保している。

そして、この曲が「デジタルタトゥー」や「15才」より前に置くことで、この二曲の持つ“自己の加害性”に対しては「のびしろ」として肯定しない作用が生まれているのも、作品の流れの妙を感じる。そういった点でも、アルバムというパッケージの意味がどんどん希薄になっている現在に“アルバムというフォーマットだからこその理由”を形にするCreepy Nutsの作品への真摯さには改めて驚かされた。

「Lazy Boy」で“盛者必衰だろ長くは続かない”と相変わらずペシミスティックな表現をする彼らだが、そこに繋がる言葉は“なら走り抜けるだけcrazyなlife”であり、「土産話」では“まぁ今年も年末空けとくわ…”と、この先の動きに対して、明確に色気を見せるCreepy Nuts。

年末が“ガキ使にピザ”になるのか、“カウントダウン紅白”になるのか、期待したい。


リリース情報

2021.09.01 ON SALE
ALBUM『Case』


ライブ情報

Creepy Nuts ONE MAN TOUR「Case」
9/20(月・祝)大阪・大阪城ホール
9/25(土)千葉・森のホール 21 大ホール
10/07(木)兵庫・神戸国際会館こくさいホール
10/09(土)福岡・福岡市民会館 大ホール
10/17(日)愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール
10/28(木)宮城・仙台サンプラザホール
10/31(日)新潟・長岡市立劇場
11/14(日)神奈川・横浜アリーナ

Creepy Nuts ONE MAN TOUR「Case」特設サイト
https://creepynuts.com/1manTour2021autumn/


Creepy Nuts OFFICIAL SITE
http://creepynuts.com/

アルバム『Case』特設サイト
https://creepynuts.com/1manTour2021release/