米津玄師「IRIS OUT」が2025年を代表する一曲になりつつある。
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』主題歌のこの曲は、2025年9月15日の配信リリース時から国内外の数々の歴代チャート記録を塗り替えている(※「IRIS OUT」は、同月24日にCDリリース)。
その人気は海外にも波及し、米Billboardのグローバルチャート“Global 200”では日本語楽曲の最高位となる5位にランクイン(※2025年10月11日付)。映画の世界的な大ヒットも追い風となり、その勢いはまだ留まるところを知らない。
記録的なグローバルヒットになったこの曲について、改めて考えてみたい。
キーワードは、歌詞にもある“蕩尽(とうじん)”だ。財産などを使い果たすことを意味するこの言葉。この曲をきっかけに言葉の意味を知ったという人も多いのではないだろうか。
いったい、ここには何が歌われているのか?
■“解釈の悪魔”としての米津玄師
まず大前提は、「IRIS OUT」が『チェンソーマン レゼ篇』のために書き下ろされた一曲だということだ。
米津玄師と『チェンソーマン』の縁は深い。藤本タツキの原作に惚れ込み、アニメ化発表以前からなんらかの形で曲を作りたいと熱望していたという米津。TVアニメ『チェンソーマン』のオープニングテーマ「KICK BACK」(※2022年10月12日に配信、11月23日にCDリリース)は、アメリカレコード協会(RIAA)によりプラチナ認定を受けるなど代表曲のひとつとなった。
そして、数々のアニメ主題歌を手がけてきた米津玄師は、その作品の主題を鋭く射抜き、再構築する卓越した表現力を持つ。『チェンソーマン』の登場キャラクターになぞらえて“解釈の悪魔”とも称される才能の持ち主だ。
「KICK BACK」「IRIS OUT」、そして『チェンソーマン レゼ篇』エンディングテーマの「JANE DOE」と同作には3曲を提供しているが、それぞれ違った角度から作品やキャラクターの思いが切り取られているのもポイントだ。
「KICK BACK」では『チェンソーマン』の痛快さをジェットコースターのような忙しない曲展開と共に表現している。
いっぽう、宇多田ヒカルを迎えた「JANE DOE」は美しくも儚いワルツだ。曲名は身元不明の女性を意味する言葉。すべてが終わっていくことを諦念と共に受け入れた女性とそんなことはつゆ知らず好意を寄せる男性のデュエットで、レゼの複雑な出自と残酷な運命に寄り添う。
■【歌詞あり】レゼに恋するデンジの視野狭窄な様子を表す「IRIS OUT」
「IRIS OUT」
駄目駄目駄目 脳みその中から「やめろ馬鹿」と喚くモラリティ
ダーリンベイビーダーリン
半端なくラブ!ときらめき浮き足立つフィロソフィ死ぬほど可愛い上目遣い なにがし法に触れるくらい
ばら撒く乱心 気づけば蕩尽 この世に生まれた君が悪い
やたらとしんどい恋煩い バラバラんなる頭とこの身体
頸動脈からアイラブユーが噴き出て アイリスアウト一体どうしようこの想いを どうしようあばらの奥を
ザラメが溶けてゲロになりそう
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解ひっくり返っても勝ちようない 君だけルールは適用外
四つともオセロは黒しかない カツアゲ放題
君が笑顔で放ったアバダケダブラ デコにスティグマ 申し訳ねえな
矢を刺して 貫いて ここ弱点死ぬほど可愛い上目遣い なにがし法に触れるくらい
ばら撒く乱心 気づけば蕩尽 この世に生まれた君が悪い
パチモンでもいい何でもいい 今君と名付いてる全て欲しい
頸動脈からアイラブユーが噴き出て アイリスアウト一体どうしようこの想いを どうしようあばらの奥を
ザラメが溶けてゲロになりそう
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解作詞:米津玄師
作曲:米津玄師
編曲:米津玄師
「IRIS OUT」ではレゼに心を奪われ夢中になるデンジが描かれている。
主人公デンジのあけすけなキャラクター性は「KICK BACK」でも歌われていたが、「IRIS OUT」ではその直情的で衝動的な側面に、よりフォーカスを当てている。約2分半を駆け抜けるような曲展開で、レゼを演じる上田麗奈の「ボンッ!」というボイスサンプルにも耳を奪われる。
曲名の「IRIS OUT」は往年のアニメによく用いられた、映像が円形に縮小して暗転する画面切り替えの技法が由来。レゼに恋するデンジの視野狭窄な様子を表す言葉でもある。
なので「IRIS OUT」の歌詞にはデンジ目線の言葉が並ぶ。《死ぬほど可愛い上目遣い》はまさにそう。デンジとレゼの身長差、頬を赤らめて見上げるレゼの表情をイメージさせるワードだ。
《脳みその中から「やめろ馬鹿」と喚くモラリティ》というフレーズもデンジの自問自答が思い浮かぶ。《この世に生まれた君が悪い》も《ザラメが溶けてゲロになりそう》もデンジらしいワードセンスだ。
でも、そう考えると気になる一節がある。《ばら撒く乱心 気づけば蕩尽》というラインだ。ここは語義的に捉えれば、“理性や正気を失って振る舞い、気づいたら何も残っていなかった”という意味となり、作中のデンジの心情描写にはフィットしている。しかし、義務教育を受けていないデンジが“蕩尽”という言葉を知っているとは考えにくい。ここはデンジ目線ではなく米津目線のワードチョイスと考えるべきだろう。
■「推しとは何か?」という考察
筆者はこの曲についてのインタビューを行ったのだが、そこで米津は「IRIS OUT」の制作にあたって「改めて『推し』って何なのだろうと考えました」と語っている。
つまり、「IRIS OUT」は『チェンソーマン レゼ篇』主題歌であると同時に、米津玄師なりの「推しとは何か?」「推し活とは一体どんな営みなのか?」という考察が投影された一曲なのである。楽曲には、レゼにメロメロになるデンジに重ね合わせて、推しに夢中になる心情が描写されている。CDの「IRIS OUT」盤にはポラロイドとアクリルスタンドとポーチケースが付いているのだが、推し活文化を想起させるそのパッケージ内容もこうしたテーマとリンクしている。
では、米津玄師は“推し”という文化について、どう考えているのか。
前述のインタビューで「現代は性欲や性愛的な感情が忌避される時代になってきている」と米津は言う。アイドルなどの対象にそうした感覚を抱くことも、どんどん“キモい”ものとみなされるようになってきている、と語る。
考えてみれば、アニメのキャラクターやアイドルへの性愛的な感情を発露する“萌え”という言葉は、近年になって急速に市民権を失っている。そのいっぽうで、アイドルなどの対象を応援するニュアンスを持つ“推し”という言葉が一般化した。こうした言葉の使われ方の変化も「性欲や性愛的な感情が忌避されるようになった」時代性の象徴と言えるだろう。
「社会的な、道徳的な名目を持たせるために、ある意味で非道徳的でキモいものとしての性愛的な要素を脱臭した結果としてできたのが『推し』という言葉であるような気がする」と米津は言う。
というのも、そもそもアイドルは、ファンが恋愛感情や性愛的な感情を抱くことが少なくない存在である。そのいっぽうで、現代のアイドルは鍛錬を重ね、ダンスや歌やルックスを磨き、それぞれの理想に向かって努力する存在でもある。その成功を願い、後押しするような“道徳的”なニュアンスが“推し”という言葉にはある。
「道徳的熱愛、道徳的浪漫というか、道徳と性愛的な感情の間で揺れ動かざるを得ない感覚を『IRIS OUT』という曲に投影できたらいいのではないかと考えていたところがありますね」と米津は語っている。
「IRIS OUT」には“推し”という文化への米津玄師なりの考察が込められているのだ。
■バタイユの思想の影響
では、なぜそういう曲の歌詞に“蕩尽”という言葉が選ばれたのか?
ここからは筆者の深読みなのだが、その背景にはフランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユの思想があるのではないだろうか。
筆者は以前にアルバム『LOST CORNER』のリリース時に米津にインタビューしたことがあるのだが、その時に収録曲の「YELLOW GHOST」に関しての話の中で「バタイユが性愛における一部分を『小さな死』と言っていた」という言及があった。バタイユの主著『エロティシズム』からの引用だ。
そして、同じくバタイユの代表作『呪われた部分』で展開しているのが“蕩尽”についての論なのである。
バタイユの定義する“蕩尽”は、決してネガティブな意味ではない。単に無駄遣いや浪費で、すっからかんになるというようなことではない。むしろバタイユは“蕩尽”を肯定的に捉えている。
というのも、バタイユの考え方では、地球上の生命活動全体を視野に入れれば、太陽からふりそそぐ膨大なエネルギーは常に過剰である。生命はこの余剰なエネルギーをどこかで“使い果たす(=蕩尽する)”必要があると説いている。
近代社会ではすべての資源やエネルギーは生産性のあること、有用なことのためだけに使われるべきだと考えられがちだ。しかし、バタイユはそれを批判する。むしろ余剰なエネルギーは祝祭や贈与や芸術のような非生産的なもののために費やされるべきだと論じる。
そういう壮麗な支出にエネルギーが向かわないと、戦争や破局的な支出に向かってしまう、というのがバタイユの“蕩尽”を巡る主張だ。
このバタイユの“蕩尽”にまつわる思想を“推し”文化やファンダムカルチャーに重ね合わせると、いろいろなものが見えてくる。
華やかなライブのステージはまさに“祝祭”そのものだ。アクスタやポラなどグッズの購入は“贈与”である。どちらも非生産的だ。しかし、そこに意味がある。
「IRIS OUT」は“推し”文化やファンダムカルチャーを批判したり皮肉ったりするような曲ではない、と筆者は考える。
むしろそこにある哲学的な構造を示唆する表現になっているのではないだろうか。
■朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』と「IRIS OUT」
ちなみに、朝井リョウの近著『イン・ザ・メガチャーチ』も、こうしたテーマに肉薄する小説である。“推し活”やファンダムカルチャーをテーマにしたストーリーなのだが、その視点で読んでいくと、不思議なほど「IRIS OUT」と繋がるところがある。
作家生活15周年記念作品『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)発売されました。
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沈みゆく列島で、”界隈”は沸騰する――。
事実と解釈。連帯と暴走。成長と信仰。幸福と中毒。人生と孤独。
「神がいないこの国で人を操るには、”物語“を使うのが一番いいんですよ」 https://t.co/nIQL6jWgKH pic.twitter.com/glpqvqnBqB— 朝井リョウ (@asai__ryo) September 5, 2025
『イン・ザ・メガチャーチ』は、音楽業界の中年男性社員、アイドルグループにハマっていくその娘、陰謀論にのめり込む女性など、複数の視点を駆使し、SNSとファンダムの“物語装置“を描く小説だ。
後半、アイドルグループの仕かけ役として登場する人物が放つ、とても印象的なひと言がある。
「視野を狭めるのって、やっぱり楽しかったですか」
物語の主人公たちは、みな半ば意識的に“視野を狭める”ことを選びとっていく。何かに夢中になるため、没頭するためには、必然的にそうせざるをえない。そうしないと行動を起こせない。
一般的には“視野は広いほうがいい”という価値観が推奨されがちだ。しかし、『イン・ザ・メガチャーチ』では、人々が視野を狭めることを必ずしも否定していない。“推し”に没頭し、意図的にそれ以外の世界を遮断することで、精神的な安定や充実感を得る。それを現代社会におけるひとつの“救い”として描いている。
「皆、自分を余らせたくないんです」
というセリフも印象に残る。人々はなぜ“推し”に熱中するのか。それは、自分の時間やお金や情熱をすべて注ぎ込み、“使い切る”ことへの強い希求に突き動かされているからだ。まさにバタイユの“蕩尽”である。
そして「IRIS OUT」は、まさに“視野を狭める”ことについての歌だ。
曲の終盤には《この世で君だけ大正解》というフレーズがある。こうして考えていくと、とても深い意味がそこに込められていると感じる。
TEXT BY 柴那典
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