学生時代から浜田とともに歩み、半世紀にわたってマネジメントを担い、現在は浜田省吾らが所属する事務所・ロードアンドスカイの代表をつとめる高橋信彦氏、デビュー当時からライターとして、そして音楽評論家として浜田の歩みを追い続けてきた田家秀樹氏、さらにレーザーターンテーブルを通じてアナログ盤の真価を世に問い続けるエルプ社・竹内孝幸氏が一堂に会しての本鼎談。中編となる本稿では、80年代のターニングポイントを経ての大ブレイクのなかで抱えた不安、そしてブレイク前から変わらないファンとの信頼関係について語り合ってもらった。
■ファーストプレスの音は、その時代に鳴らした音楽の普遍性が色褪せずに鳴り続けている
――ここからは、御三方の出会いから、浜田省吾というアーティストが築き上げてきた、ファンとの唯一無二の信頼関係について掘り下げていきたいと思います。まず、田家さんと竹内さんが最初に出会われたのは、実はここ数年のことだそうですね。
田家秀樹(以下、田家):そうなんです。高橋さんから「面白い人がいるので会ってみませんか?」と連絡をいただいたのが最初でした。それが3年ほど前だったと思います。
竹内孝幸(以下、竹内):僕は高校生のときから田家さんの書かれた文章や書籍を貪るように読んできました。音楽への誠実な眼差し、紳士的な佇まい、そして熱いスピリットが溢れていて、ずっと憧れの存在のひとりでした。高橋さんを介してお会いできるとなったときは、ひとりの音楽ファンとして感無量でした。
田家:私は、半分仕事として音楽を聴いている人間ですから、良い曲はカセットテープで聴こうが、高価なオーディオセットで聴こうが良いものは良い、と考えるタイプでした。だから、最初はレーザーターンテーブル(LT)についても、半信半疑で試聴イベントに足を運んだのですが…音の違いには本当に驚きました。
――僕も体験しましたが、あの音の良さ、再現性は素晴らしですよね。
田家:針を一切使わずにレーザー光でレコードの溝を忠実に読み取ることで、針飛びも摩耗もない、驚くほどピュアで生々しい音が立ち上がってくる。LTで聴く浜田さんのアナログ盤は、まるでスタジオやライブ会場にいるような臨場感で、目から鱗の衝撃でした。
――田家さんから竹内さんへ、膨大なレコードコレクションが寄贈されたそうですね。
田家:2023年に所有していたCD約2万3,000枚を、日本の音楽をもっと知ってほしいという想いから、台湾の清華大学に寄贈しました。それでも仕事場にはまだ多くのアナログ盤があり、ダンボールに詰めっぱなしでほこりを被らせ、中には反ってしまっているものもあり、それを見た竹内さんから「これはレコードに対してひどい仕打ちだ、レコードが泣いていますよ」と言われてしまいまして。一枚一枚を最高の環境で鳴らすことのできる竹内さんに託すのがレコードにとっていちばんの幸せだろうと決意し、4,000枚を彼に託しました。
竹内:いただいた盤にはファーストプレスの貴重なものが多く、本当にフレッシュな音がします。例えば、同じ『生まれたところを遠く離れて』(1976年4月21日発売の浜田省吾1stアルバム)でも、ファーストプレスとセカンドプレス、サードプレスでは音の立ち上がり方がまるで違う。あの時代に鳴らした音楽の普遍性が、今も色褪せずに鳴り続けているという驚きがあります。受け継いだものを次の世代へどう繋いでいくか、それも自分の役割だと思っています。
■「風を感じて」でのステップアップが次のアルバムへと繋がった
――1970年代の試行錯誤を経て、1980年代以降は徐々にブレイクへと向かっていきますが、高橋さんが特にターニングポイントになったと考える、作品や出来事を教えていただけますか。
高橋信彦(以下、高橋):いちばんわかりやすいのは7枚目のシングル「風を感じて」(1979年7月1日)ですね。あれはステップアップという感じでした。今作で「次のアルバムが作れる」という安心感を初めて持つことができました。そこから少しずつライブの動員も増えてきて、これをやっていけば30歳を過ぎてもやっていけるだろうという自信が持てるようになったんです。
▼風を感じて (Welcome back to The 70’s 「君が人生の時~Time of Your Life」 / Short Version)
――そして、浜田さんは1980年の『Home Bound』でのサウンド革命、1981年の『愛の世代の前に』を経てメッセージ性を強固にし、1986年にはソロデビュー10年目という節目に、2枚組の名盤『J.BOY』を発表します。自身初のオリコン1位を収め、名実ともに日本のロックシーンの頂点に立ちました。
高橋:アルバム『J.BOY』(1986年9月4日)は、それまでの海外でのレコーディング経験や日本での泥臭いライブの積み重ねが、何より“自然体”でブレンドされて出てきたひとつの完成形でした。
作品への手応えは間違いなくあったのですが、マネジメントの立場から言うと、それまで10万人くらいだったライブの総動員数が、ヒットとともに一気に何倍にも膨れ上がった瞬間でもあって、心の中は猛烈な不安と恐怖でいっぱいでした。
――大ブレイクを果たしたにもかかわらず、不安が大きくなっていったと。
高橋:はい。それまでのホールツアーの時代は、客席を見渡せば「この熱い人たちが僕たちの音楽を聴き、支えてくれているんだな」という地に足のついた手応えがはっきり掴めていましたが、(ブレイクすることによって)急に目の届かない何十万人という大衆が一斉に浜田の音楽を求め始めた。ありがたいことですし、ビジネスとしては大きな成果ではありますが、自分たちで築いてきたという実感が薄れていく怖さもあったんです。
僕が心配性だからかもしれませんが、足元がふわふわとした感覚のなかでの、ちょっとした恐怖でしたね。
■浜田省吾を文章化し、残さなければと使命感を持たせた「僕と彼女と週末に」
――1990年代に入ると、フジテレビ系ドラマ『愛という名のもとに』の主題歌「悲しみは雪のように」(1981年11月21日/1992年2月1日リアレンジ版を再発売)がミリオンセラーとなり、ファン層がマスへと広がっていきました。
高橋:あれはCDバブルの時代と重なったことも大きいですね。嬉しい状況ではあったのですが、僕にとっては1980年代に積み上げてきたものとはまた種類の違う喜びというか、どこか客観的に眺めているような感覚でした。ポップミュージックは年齢とともにリスナー層も上がっていくため、下の世代が入ってこないとどうしても減衰していく。その世代交代への不安は、ずっと心のどこかにありました。
▼悲しみは雪のように (ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”)
田家:高橋さんがそうして巨大化していくプロジェクトに慎重なブレーキや畏怖を持っていたからこそ、浜田省吾は時代の濁流に呑まれて消費され尽くすことなく、今も現役のままでいられるのでしょうね。
僕は当時、アルバム『PROMISED LAND~約束の地』収録の「僕と彼女と週末に」を聴いたときに、自分が責任を持って浜田省吾というアーティストの存在を文章化し伝え、残さなければ、と強い使命感のような想いを抱きました。
ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが、1985年4月に代々木オリンピックプールで日本初公演を行なった際、アメリカの著名な評論家であるデイヴ・マーシュは著書『グローリーデイズ―’80年代のスプリングスティーン』で「日本のファンはブルースが歌ってきた世代や社会の言葉をほとんど理解していない」と書いています。それが書き手としてもロックファンとして本当に悔しかった。
その直後に『J.BOY』が出たので、日本のリスナーだってこういう深いメッセージを受け止めているんだということを証明したくて、高橋さんに「本を書かせてほしい」と直談判しに行ったんです。それが、浜田さんの歩みを書籍としてアーカイブしていく活動の始まりでした。
■どれほど時間が経ってもファンとの信頼関係は変わらない
――動員やファン層の拡大に対する高橋さんの不安は、その後どのようにして変化していったのでしょうか。
高橋:2005年にアルバム『My First Love』(2005年7月6日)を出したときに、その不安は不思議とすっと消えました。
あの作品には、浜田のミュージシャンとしての飾り気のない、素直な部分が出ているシンプルな曲が多く、「これでいいんだ、これで新しい世代にも通じる」というたしかな想いが、僕のなかに帰ってきたんです。時代がどれだけ変わっても、自分たちの本質をシンプルに鳴らし続ければ、ちゃんとリスナーと繋がっていけるのだと教えられたアルバムでした。
――浜田さんの活動を語るうえで、もうひとつ外せないのが、デビューから50年間、ツアースポンサー(冠企業)を付けずに活動を続けているという点です。
高橋:最初から僕らの間でごく自然にあった共通認識です。大きなお金をもらって何かをやるビジネスモデルを決して否定するわけではありませんが、僕らは他者からいろいろと要求や制約を受けるのが嫌だっただけなんです(笑)。理想は、目の前にいるリスナーからチケット代やCD代という対価をいただき、そのお金だけで生活を成り立たせ、次のステージを作る。僕らにとって、それがいちばん自然なやり方でした。
田家:その矜持があるからこそ、浜田さんのコンサートは、客席とステージの双方がお互いの人生を背負い合う当事者同士の場所になるんです。チケットを買って観に来てくれるファンは、自分が浜田省吾とともに人生を歩んできたという熱い当事者意識を持っている。そしてステージの浜田さんもマネジメントも、この人たちが直接お金を出してくれたから今ここに立っていられるんだ、という感謝を抱いている。
だからこそ、“答えのあるコンサート”になるんです。ファンがアーティストを一方的に神格化しない、対等で健康的な関係が成立している。
――2024年1月、『ON THE ROAD 2023 Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKEBOX”』の有明アリーナ公演のライブレポートを書かせていただいたとき、浜田さんがファンの年齢層チェックをやったところ、50代、60代に次いで20代が多いという結果が出ました。あいみょんさんをはじめ、若手のアーティストが浜田さんへのリスペクトを公言していることも一因かもしれませんが、70代のアーティストに20代のファンがこれだけついているのは、簡単なことではないと思います。
それと、こんな物を頂きました。きっと私と浜田省吾様なんやと思います。めっちゃ可愛い。浜省って書いてへんから実際わからへんけど、たぶん『Journey of a Songwriter 』のジャケットの浜省。嬉しい。作ってくれた方にはお会いできませんでした。大切にします! pic.twitter.com/qwCz9f0gQq
— あいみょん 🦭 (@aimyonGtter) February 10, 2017
高橋:2022年から2023年にかけて7年ぶりにホールツアー『ON THE ROAD 2022 Welcome Back to The Rock Show “EVE”』をやったときにも、30年ぶりに足を運んでくれたという方から、「まさかこの小さな町にまで来てくれるとは思わなかった」と声をかけていただいたり、若い方もたくさん来てくださって、こちらのほうが感謝したくなるくらいでした。
どれほど時間が経ってもお互いの信頼関係が変わっていないというのが本当にありがたいです。
■血の通った現場を毎日目の当たりにした全48都市83公演のツアー帯同
――“顔の見える関係、確かな手応え”を誰よりも深く体験されたのが、田家さんです。1990年のツアー『ON THE ROAD ’90 “FOR WHOM THE BELL TOLLS”』の全48都市83公演に帯同した記録が、『オン・ザ・ロード・アゲイン』(角川書店刊/1991年)というドキュメンタリー本として結実しました。
田家:それまでの僕は、アーティストが年間100本も150本もツアーを回っているなかで、東京でのライブを1本だけ観て「今回は良かった、悪かった」と原稿を書いている自分のスタンスに強い疑問を感じていて、あるとき耐えられなくなったんです。それで高橋さんに同行取材をさせてほしいという企画書を持っていきました。
高橋:最初、企画書を読んだときは「これは大変なことになる」と思って(笑)、「まずは試しに北海道の1週間だけ同行してみますか」と言ったのですが、田家さんの熱意は本物で、結果的に全公演帯同という旅が実現しました。
――長いツアーで、浜田さんにインタビューする機会はどれくらいあったのでしょうか。
田家:浜田さんへの直接のインタビューは、ツアーの中間点と終了後の2回ありました。
僕は完全にツアースタッフと同じスケジュールで動いていて、浜田さんがどれほど深い感謝と信頼を持ってスタッフたちとステージを共創しているか、その血の通った現場を毎日目の当たりにしました。会場の廊下で浜田さんとすれ違っても会話らしい会話はなく、移動中に駅のホームで「田家さん、大丈夫? 疲れてるって聞いたけど」と声をかけられたのがいちばんの思い出になっています(笑)。
――本当に貴重な経験と記録です。
田家:ステージに立っている浜田さんが、MCでスタッフへの感謝を口にするとき、それが外交辞令でも綺麗事でもなく、本当に心から「このプロフェッショナルなスタッフたちがいてくれるから俺は歌えるんだ」と思っている真実が痛いほどわかった。
あの経験を経て、僕のものを書く姿勢は帯同以前と以後でまったく違います。『オン・ザ・ロード・アゲイン』が出たあと、「これを読んでこの業界に入りました」という声を何人もの若い人たちからいただいて、ライブの本当の尊さを少しでも伝えられたんだとしたら、物書きとして本望です。
▼『オン・ザ・ロード・アゲイン―浜田省吾ツアーの241日(上)・(下)巻』
https://shogo.r-s.co.jp/disco/others13.html
■「光の糸」は、衰えない表現力と時代への警鐘の鋭さには凄まじいものがある
――そこまでして見届けてきた半世紀の軌跡のなかで、浜田さんの音楽が、なぜこれほどまでに時代を超えて色褪せないのだと思われますか。サウンド面でも打ち込みやダンスミュージックを取り入れた時期など、常に変化を恐れない姿勢もありましたね。
田家:『SAVE OUR SHIP』(2001年8月22日)の時期などは、我が道を行けばいいという頑なな態度ではなく、常に旬の音楽でありたいという視野の広さを持った、意識的なターニングポイントでした。
そうした紆余曲折を経て再びシンプルな『My First Love』(2005年7月6日)に行き着き、さらに熟考を重ねたからこそ、『Journey of a Songwriter 〜旅するソングライター』(2015年4月29日)という巨作に至るまでに10年かかったということなのでしょう。
――その『Journey of a Songwriter』から、もう11年という時間が経ちました。
田家:まだ11年なのか、もう11年なのか、よくわからなくなっているんですよ。普通だったら10年という時間軸で語れるはずなのに、浜田さんの歌にはそれがまったく当てはまらない。80年代の社会性の強い楽曲も、10年前の曲も、今の世界の状況にそのまま当てはまってしまうからです。
――浜田さんの作品にはラブソングはもちろんですが、時代や社会との接点を強く描いたものも多いです。
田家:『Journey of a Songwriter』の最後に収められた「アジアの風 青空 祈り」は、まさにこの3年ほど世界中が理不尽な戦火に包まれ、無謀な権力者が世界を翻弄している今の状況を、まるで予言していたかのようなリアルさがある。これが何年前に作られた歌なのか、もう時間軸が区切れなくなってしまっているんですよ。
▼アジアの風 青空 祈り part-1 風 (ON THE ROAD 2015-2016 “Journey of a Songwriter”)
▼アジアの風 青空 祈り part-2 青空 (ON THE ROAD 2015-2016 “Journey of a Songwriter”)
竹内:本当にそうですね。同アルバムの「光の糸」を聴いても、その衰えない表現力と時代への警鐘の鋭さには凄まじいものがあると思います。現代社会の深部をここまで鋭くリアルに表現しているアーティストは、日本はもちろん世界を見渡してもなかなかいないと思います。
▼光の糸 (ON THE ROAD 2022 Welcome Back to The Rock Show “EVE”)
田家:その時々の世の中の構造、人間社会の“真実”をずっと語ってきたからこそ、絶対に古くならないアーティストなんです。だからこの50周年という数字は、ただ長く活動を続けてきたという以上の重みを僕たちに突きつけてくるのだと思います。
竹内:ファンとしては、これだけ素晴らしいリミックス盤の音を体感してしまったからこそ、今の浜田さんの圧倒的な現役感を詰め込んだ新しい『ライブ盤』も、アナログやLTTのクオリティで改めて聴きたいという期待が膨らんでしまうのですが…。
高橋:ライブ盤ですか…それは、ゆっくりお待ちください(笑)。
――鼎談は後編へと続く…。
INTERVIEW & TEXT BY 田中久勝
浜田省吾ソロデビュー50周年記念
「SHOGO HAMADA 50th Anniversary Vinyl Collection」特設サイト
https://shogohamada.lnk.to/50thAnniversaryVinylCollection
■リリース情報
2026.10.21 ON SALE
ANALOG LP『Before the Stream』
https://hamadashougo.lnk.to/Before_the_Stream
2026.10.21 ON SALE
ANALOG LP『ON THE ROAD』
https://hamadashougo.lnk.to/ON_THE_ROAD_Vinyl
2026.10.21 ON SALE
ANALOG LP『ROAD OUT “TRACKS”』
https://hamadashougo.lnk.to/ROAD_OUT_TRACKS_Vinyl
2026.10.21 ON SALE
ANALOG LP『初夏の頃』
https://hamadashougo.lnk.to/In_Early_Summer_Vinyl
■映画情報
『ON THE ROAD 1988』
2027年1月より全国映画館にてロードショー
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン
©2027 Road & Sky
■関連リンク
浜田省吾 OFFICIAL SITE
https://shogo.r-s.co.jp/
https://www.sonymusic.co.jp/artist/ShogoHamada/info/
楽曲リンク:浜田省吾
https://smer.lnk.to/shogohamada
▼浜田省吾50周年特集記事はこちら
https://www.thefirsttimes.jp/keywords/15254/
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https://www.thefirsttimes.jp/keywords/1776/


