Suchmosが、活動再開後初のツアー『Suchmos Asia Tour Sunburst 2025』を開催した。
10月29日の神奈川・KT Zepp Yokohama公演を皮切りに、ソウル・上海・台北・バンコク含む13都市を回り、12月12・13日、東京・Zepp Hanedaにてファイナルを迎えた。これまで2度のアジアツアー中止を経験したSuchmosにとって、念願のリベンジを果たした。
▼「”Whole of Flower” The Blow Your Mind 2025 横浜アリーナ 2025.06.22」
ここでは、デビュー当時からSuchmosをそばで見守り続けてきた音楽ライター・編集者の矢島由佳子が、Suchmosというバンドが辿ったストーリーを振り返る。
■ライブハウスから火がついた「STAY TUNE」
「Suchmosは自らの過去を否定することなく、今を生きて、未来を更新していく」
SuchmosがEP『Essence』でデビューしたのは2015年。翌年リリースした「STAY TUNE」が、9年経った今も世の中で口ずさまれるほど、スマッシュヒットとなった。
そのきっかけは、タイアップやSNSバズといったルートではなく、ライブハウスやアパレル/ファッション業界などを中心にストリートから火がつき、その後J-WAVEをはじめラジオでさらなる広がりを見せ、リリースから8か月後にHonda『VEZEL』のCMに起用されるという異例の流れだった。
「STAY TUNE」が収録されたアルバム『THE KIDS』は、2017年『第59回日本レコード大賞』にて最優秀アルバム賞を受賞。2018年には『NHKサッカーテーマソング』として「VOLT-AGE」を書き下ろし、『NHK紅白歌合戦』出場を果たした。
『Suchmos Asia Tour Sunburst 2025』東京公演でも本人たちがライブハウス愛を語っていたが、「音楽、バンド、楽器、ライブハウスのカルチャーを広める、繋いでいく」というスタンスは常々あったもので、『紅白』でも「臭くて汚ねえライブハウスから来ました、Suchmosです」という挨拶を投げて大きな話題となった。
▼「STAY TUNE」
■Suchmosの音楽が愛される理由
なぜそこまでSuchmosの音楽が愛されたのか――Suchmosのデビュー当時は、ヒットの指標となる『オリコンチャート』の上位にアイドルグループしかいない状況だった。
バンドシーンにおいても、フェス文化が巨大化する中でみんながひとつになってお祭りモードで盛り上がれる4つ打ち&BPM速めのロックバンドが増え、オーバーグラウンドのバンドサウンドが一辺倒になっていると嘆く声も上がっていた時代だった。
そこにカウンターとして登場したのが、Suchmosだった。
当時、ディアンジェロやロバート・グラスパーの世界的ムーブメントの流れを受けて、ジャズやヒップホップのグルーブをポップスやロックに昇華する動きがSuchmosやKing Gnu、BREIMENなどのメンバーがいたアンダーグラウンドのシーンにおいて広まりを見せた。そこからSuchmosが、大型ロックフェスへの出演はもちろん、『紅白』に出場するほどのヒットを飛ばしたことで、ロックシーンに限らず日本の音楽シーンは様変わりを始めた。
今やバンドがジャズ、ヒップホップ、ファンク、ソウルなどの要素を取り入れることは当然のようになっている。もちろんSuchmosだけでなく、同時多発的にいくつものバンドやソロアーティストが新たなサウンドを模索しヒットさせた結果ではあるが、もしSuchmosがあのタイミングであそこまで大衆性を獲得していなければ、今チャート上位にある音楽の中身は少し違っていたのではないだろうかと想像する。
ここ数年の国内音楽シーンにおいて、ひとつのジャンルで語れないミクスチャーミュージックが増えているが、10年前であれば大衆が「難しい」や「おしゃれ」などの言葉で済ませて距離を置きそうなサウンドを、ポップスとして受け入れられる土壌を耕した1組として、間違いなくSuchmosの存在は大きい。
Suchmosの楽曲には“brother”“homie”という歌詞が出てくるが、仲間とともに成り上がってきたことも受け手をワクワクさせる要因だった。
藤井 風がニューヨークから中継した『紅白』の映像や、BUMP OF CHICKEN、RADWIMPSのライブ演出など、錚々たる作品を手がけている映像作家・山田健人は、Suchmosが小さいライブハウスに出ていた頃からVJを手掛けていた仲間だ。その他、写真家・小見山峻、アーティスト/イラストレーター・YUGO.などとともに、初期からSuchmosの世界観を一緒に作ってきた。今もライブハウスを大事にしているのは、“brother”“homie”やローカルへの愛を忘れない姿勢の表れでもある。
▼「Eye to Eye (Official Music Video)」監督: 山田健人
■アジアツアーへの想い
またもうひとつ記しておきたいのは、アジアへの視座もSuchmosはいち早く持っていたこと。
去年頃から日本のアーティストがアジアのフェスに出演したりアジアツアーを行ったりする機会が増えたが、2010年代終盤は「2020年代は日本の音楽をアジアへ」という動きが業界内の一部で生まれ始めていたタイミングだった。2019年末、2010年代を振り返る特集を雑誌『Rolling Stone Japan』にて組んだ際(cero・髙城晶平とSuchmos・YONCEの対談、星野源やKing Gnuのインタビューなどを掲載)、いよいよ2020年からアジアへ音楽を届けていこうとする気概がアーティストたちから溢れ出ていた。
一部発言を抜粋するなら、髙城は「アジア圏全体の文化的な結託が面白いものを生むだろう」、King Gnu常田は「(2020年代に描いていることは?という質問に対して)アジアは本当にキーになってくると思いますね」と語っていた。
しかし2020年、新型コロナウイルスの蔓延によってそのムーブメントは完全にストップ。
Suchmosは、2019年にアジアツアーを計画するも、メンバーの体調不良によって中止。さらに2020年のアジアツアーも台北公演のみ開催、上海・北京・深圳公演は新型コロナウイルスの影響で中止。早くからアジアに向けて動き出していたSuchmosにとって、今年のアジアツアーは重要であり、だからこそ“リベンジ”という言葉に重みがあった。
そんなSuchmosが『Suchmos Asia Tour Sunburst 2025』で示したことは、自らの過去をすべて肯定し、未来へと向かっていく姿勢だった。
■『Suchmos Asia Tour Sunburst 2025』での彼らの印象は“自由”
6月21・22日に行われた復活ライブ『Suchmos The Blow Your Mind 2025』と同じく、ツアーは「Pacific」と「Eye to Eye」でスタート。
「Pacific」といえば、Kaiki Ohara(DJ)、TAIHEI(Pf)、TAIKING(Gu)が正式加入する前から存在する超初期の曲。そして「Eye to Eye」は、HSU(Ba)が残したグルーヴと意思を継いでベースをプレイしている山本連が持ってきたアイデアからスタートした、活動再開後にリリースされた新曲。その2曲を繋げることで、Suchmosは始まりから現在まで、同じ道の上を歩んでいることを表していた。
また『Suchmos The Blow Your Mind 2025』では演奏されなかった、3rdアルバム『THE ANYMAL』の楽曲もツアーのセットリストには組み込まれていた。
『THE ANYMAL』といえば、バンドが悩んでいた時期に作られた、ポップスからは距離を置いたダークさも纏うアルバムとして語られることが多い。しかし、そんな時期の自分たちを、今の彼らは否定していない。
「Eye to Eye」のあとは、『THE ANYMAL』に収録されている、映画音楽とロックンロールやブルースを融合させた「ROMA」をシネマティックに魅せる照明演出の中で鳴らし、『THE ANYMAL』以降に発表された(コロナ禍に実施された全曲新曲の配信ライブ『Suchmos From The Window』にて披露)、変態的なコード進行とポップなメロディの装いで、その歪さが新しい中毒性を与える「Ghost」がライブ序盤を彩った。
『Suchmos Asia Tour Sunburst 2025』で観た彼らの印象を一言で表すなら、“自由”だ。
まずは音楽的に、彼らは以前よりもさらに自由になっているように見えた。「Suchmosが浴びる視線とどう対峙するか」というしがらみから、完全に解放されているようだった。“都会”や“夜”などのイメージ、もしくは私がここまで書いてきた“ブラックミュージック×ロック”などの方向性に縛られず、ただ自由に音楽の中をたゆたうことのできるバンドの状態を、彼らは自ら手に入れ直した。
イヤモニもクリックも使わない究極のライブバンドである彼らは、自分たちがその場で鳴らす音に反応し、その日限りの表情やテンポ感をまとったライブアレンジを毎回生み出すのだが、一曲のなかでジャンルの雰囲気が変化していくような流れさえも自然と生まれるのがSuchmosの面白さ。この日、「Alright」にYONCEのラップが挟み込まれたのもハイライトだった。
■活動休止中の“修行”で磨いたスキルとマインド
“自由”とは書いたが、その一言で収めるのは失礼なくらい、それが実現できるのは活動休止中の“修行”で磨いたスキルとマインドが各々にあるからこそ。
YONCEは、2023年より始動したバンド・Hedigan’sでボーカルをつとめるだけでなく、『Mirage Collective』プロジェクトとしてドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』主題歌「Mirage」を長澤まさみらとともに歌唱、Ryohu「One Way feat. YONCE」に参加するなどの活動を行ってきた。
▼Mirage Collective 「Mirage – Collective ver. feat. 長澤まさみ」
TAIKINGはRADWIMPS、藤井 風、Vaundyなどでサポートをつとめ、ソロプロジェクトではOfficial髭男dism・藤原聡らとコラボレーションするなど、積極的に外へと飛び出していた。藤井 風のステージで「STAY TUNE」のフレーズを弾く場面や、自身のソロライブでSuchmosの楽曲をセルフカバーすることもあった。
Suchmosというブランドを守りながら、喪失感を抱くファンの想いまでも引き受けるように、音楽シーンの最前線で動いていたTAIKINGのおかげでバンドが歩みを止めているあいだも世間でSuchmosという名と音楽が語り続けられた部分もあることは書き記しておきたい。
▼TAIKING 「Everyday (feat. 藤原聡)」
TAIHEIは自由に音楽を創造できるスタジオを構え、リーダーをつとめるバンド・賽では、名トランペッター・佐瀬悠輔らとともにジャズにブルース、クラシック、ハウス、アンビエントなどを取り入れた音楽を追求。N.S DANCEMBLEのメンバーとしての活動や、STUTS、七尾旅人のサポート、劇伴の制作などにも取り組んできた。
TAIKINGがポップス最前線にいるアーティストたちとスタジアムやアリーナを揺らしてきた経験や、TAIHEIがホーンや弦楽器を含む音楽を探求してきたことは、これからのSuchmosにも相当生きてくるだろう。
OK(Dr)とKaiki Oharaの兄弟は、Suchmosとしては立てなくなったようなローカルな規模感で、自身の愛する音楽やリスペクトする人間たちと向き合う大切な時間を過ごしていた。
そうして、彼らは人間的にも自由になっているように見えた。YONCEの立ち振る舞いは、世間が抱く“Suchmos”や“YONCE”へのイメージを引き受けるエンターテイナーとしての瞬間も、それらをまったく気にしない瞬間もある。
「今日この一日に納得できましたか? この納得した気持ちをお家とか職場に持って帰ってふんだんに使ってもらえたらと思います」「いろんな人がいろんな気持ちで存在していいのがライブハウス、音楽だと思う」というSuchmosらしい言葉を届けるときもあれば、活動休止前は舞台上であまり見えてこなかったような「ダークでダジャレも言っちゃうファニーな河西洋介」の一面が出る瞬間もある。そのバランスが、フロントマンとしての魅力を引き立てていた。
■一人ひとりの性格がこれまで以上に見えるふたつの要因
YONCEだけでなく、プレイ中に6人の一人ひとりの性格がこれまで以上に見えてくるのが、今のSuchmosだ。なぜそうなれたのかを考えると――ひとつの要因としては、YONCEと同様に全員が、自分に向けられる視線を引き受ける瞬間と気にしない瞬間のバランスを保てるようになったのだろう。
もうひとつ、とても大切な変化といえば――結成初期から掲げている“媚びない”のスタンスの先で彼らが辿り着いたのは、上辺のリスペクトとかでもない、周りにいる大切な人への慈悲と慈愛だった。そのマインドは、今年7月にリリースされたEP『Sunburst』の4曲すべてにも溢れ出ている。
結成当初からSuchmosは全員がスタープレイヤー的なバンドであったが、これまで以上にメンバー同士でそれぞれを輝かせていた。それは、意図してステージ上での動きやパフォーマンスを計算しているというより、自然と出ているものだった。バンド内で、それぞれの傷や背負うものに想いを馳せながら愛を注ぎ、一人ひとりを輝かせる。それぞれの“気持ちいい”が爆発できる瞬間を作りつつ、自分が“気持ちいい”と感じる音も鳴らす。
そうして一人ひとりの多面的な性格が解放感を持って、ステージ上で交差するライブができあがっていた。
この日、具体的なスケジュールは発表されなかったが、来年もツアーを実施することを仄めかすように「何かやる」と語られた。人がまだ想像もつかない新しいことをやるのが優れたミュージシャンであり、Suchmosはまさにそのようにしてここまで歩んできた。
これからもSuchmosは、私たちが想像していない表現を創造し、音楽やライブハウスというカルチャーの土壌を耕し続けてくれるのだろう。
TEXT BY 矢島由佳子
PHOTO BY 岡田貴之







